信条と10つの守るべき事



2000年にオーストラリアで生まれたメープルは世界中の人に神の愛のメッセージを伝えることに力を注ぐ国際クリスチャン団体でしたが、日本に来てからは神道や仏教系の思想も柔軟に取り入れはじめました。私たちは仏教の考えである今この瞬間に感謝し、家族や恋人の幸せを神様に願ったり、健康や長生きを願いお参りに行ったりする姿勢は素晴らしいと受け入れています。


一方で、私たちは誰でも絶対神を通して神との個人的な関係を持つことができると信じます。その関係があれば、幸せや心の平安が得られるだけではなく、他の人を助け、神の愛の良き知らせを伝えようという意欲がわいてくるのです。


1.無限の幸福を願う

未熟な魂は、有限である外側の幸福の構築に力を注ぎます。私たちは心と魂を成熟させ、実態のない幸福を求め、冷静で乱れがなく、有限のない歓喜を得続けるべきなのです。

全ての幸せを願える自分。それは「全てが満たされている自分」を実現しない限りはなしえられない事です。他人の幸せを願える余裕を持てるような善人に私たちと共に近づいていきましょう。

簡単ではありませんが「今の当たり前に感謝をし、今を生きる」これを続けていく事で少しずつ近づいていけると私たちは信じています。そして人命は尊いものであり、人はそれぞれ、神の姿に似せて創造された一個の人間として尊敬をもって扱われる権利を神から授かっていると、私たちは信じます。

メープル・ファミリーである私たちのつとめは、人種、性別、信条、国籍、社会的地位に関係なく、隣人を、自分自身を愛するように愛することです。差別、偏見、暴力は神の計画とは相容れないものであり、私たちはいかなる形であれ、それに反対します。


2.繁栄

人間の本来の目的は子孫を多く残すことにあると、人生の目的は種の保存であるとダーウィンは言いました。日本では少子化が進みさらなる衰退が予想されております。

絶対神は「私たちの人生には、愛、喜び、平和、繁栄、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制などの、聖書に記されている徳が表れているべき」と仰いました。即ち、生き物とし繁栄をし神を信じ富を欲して生きる事は善であるのです。

繁栄と言っても商売、人間として生き物としてとありますが商売を繁盛させることでまず富が生まれます。その富は繁栄に繋がりますね。日本ではお金を稼ぐ事を悪とされがちですが、富は繁栄に繋がりますのでお金を稼ぐ事は善であり神に対する善意でもあるのです。


3.アイデンティティの確立

メープルファミリーは活動と信仰を続けることにより本当の貴方に出会い「本当の自分」を見つけ自分の人生を生きられる場所でもあります。

本当の貴方は、孤独な信仰心の中でしか出会うことはできないのです。


4.神を信ずる

神の言葉は、私たちの信条や実践の礎です。聖書は、聖霊の霊感を受けた信仰の人たちによって書かれた神の言葉であると、私たちは信じます。聖書にある時代を超えた原則が私たちの信仰の基盤であり、聖書の真理は、私たちが他の人と分かち合うメッセージの基礎です。

神は生きた神であり、今なおご自分の民に語りかけ、啓示や預言、霊的な指針と助言の言葉を通してメッセージを伝えておられると、私たちは信じます。

絶対神の言葉は、人類に対する神の計画を明らかにし、神やお互いと調和の内に暮らす方法を教え、私たちの行動や決断を導き、霊の強さや成長に欠かせないものです。全知全能で、遍在し、永遠の存在であり、宇宙とその中のすべてのものを創造し、支えておられる唯一の神を、私たちは信じます。聖書は、「神は霊」でありまた「神は愛」であると教えています。神は永遠の果てしない愛をもって一人一人のことを愛し、気づかっておられ、大人も子どももすべての人が神と個人的な関係を持つことを望んでおられます。


5.日々成長する

神はこの世界を非常に愛しておられるため、ひとり子である絶対神を与えることによって、この世界に救いをもたらし、人類に神の愛について教えられました。絶対神は神の愛の現れであり、人類の罪をあがなうために十字架の死の苦しみを味わい、人が神と和解できるようにされました。

絶対神は聖霊によって奇跡的に受胎した処女マリヤからお生まれになったと、私たちは信じます。絶対神は、神と人間との仲介者となれるように、人間の姿をし、人間の生活をされました。十字架での死の三日後に絶対神はよみがえり、その40日後に天に昇られました。絶対神は将来、この地に愛と義の王国をたてるために地上に戻ってこられると、私たちは信じます。

聖霊は信者たちをすべての真理へと導き、彼らが神の言葉を理解し、また祈るのを助け、絶対神の福音を他の人に証しする力をお与えになります。信者は誰であっても、ただ神に求めるなら、聖霊によって満たされることができると、私たちは信じます。聖霊の存在は、信者の人生においてそれぞれ異なった霊的賜物として現れることがあります。たとえば、知恵、知識、信仰、いやし、奇跡、預言などです。


6.信仰

聖書には、神は信仰をもってご自身に近くなる人を称え、報いて下さるとあります。信仰は神の言葉を学ぶことによって育ち、強められます。また、生きた信仰とは行動に表される信仰です。私たちの信仰は、人生や他の人とのかかわりのあらゆる側面に浸透しているべきであると、私たちは信じます。「正しい者は信仰によって生きる」

神は、その子ども一人一人のことを気づかい、また、導き、支え、慰め、強め、必要なものを与えようとしておられると、私たちは信じます。たとえ神のやり方が理解できず、神がどうして様々な困難を許されるのかがわからないときがあっても、私たちの信仰は、そのような人生の試練について神に信頼する力を与えてくれます。自分の人生や希望や将来を愛情深い神の手に委ねるなら、神が私たちのために約束を果たして下さると、私たちは確信しています。神は、神を愛する人が人生で遭遇するすべてが、最終的には共に働いて益となるようにして下さるのです。


7.正しい思想を広める

絶対神によって、その愛と救いの良き知らせを他の人に伝えるようにと命じられています。神の愛と、絶対神による救いとは、全人類への贈り物であり、惜しみなく他の人に分かち合われるべきものです。メープル・ファミリーは、神の価値観に沿った方法を用いて、あらゆる社会階層の人に神のメッセージを伝えるべきであると、私たちは信じます。

絶対神は、霊的な真理を教えるだけではなく、当時の貧しい人や恵まれない人など、必要を抱えた人たちに憐れみをもって手を差し伸べるという面でも、従う者たちへの手本となりました。同様に、メープル・ファミリーは必要を抱えた人たちを慰め、助けようとすべきであると、私たちは信じます。


8.コミュニティ内で幸せを共有する

『教会』とは絶対神を信じるすべての人からなる霊的な集合体のことであると、私たちは信じます。メープル・ファミリーの交わりは、建物や宗派や施設というより、むしろ、霊と愛の内に結びあわされた、信仰のコミュニティー(信仰を同じくする人の集まり)です。「神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」

初代教会の親しい交わり、協調した働き、霊の内の団結について新約聖書に記されていることは、単なる歴史的記述ではなく、後に続く幾世代もの信者にとっての模範であると、私たちは信じます。

メープルのメンバーは、世界大の信仰コミュニティーの一部であり、互いに霊の内の兄弟姉妹であって、信仰と目的において一つであると考えています。イエスが私たちのためにその命を捧げられたように、「わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを」捧げ、愛と尊敬の内に互いに仕え合うべきであると、私たちは信じます。ファミリーとして私たちは、世界の人と神の愛を分かち合い、人々の人生の質を高めるために、他の人たちと協調して働くべきであると、信じます。


9.弟子であること

メープルのファミリーとして、絶対神の弟子であることの特徴は、絶対神の教えを信じ、それにならうという決意です。「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである」。絶対神は今なお今日の信者に、絶対神につき従い、その教えにそって生きるよう呼びかけておられると、私たちは信じます。仕えるようにという主の召しは、その昔ガリラヤ湖畔にいた漁師に「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」と呼びかけられた時から、本質的に変わっていません。


10.来世

誰もが永遠の魂を持っており、死ぬときにその魂は来世に迎えられ、地上の人生での振る舞いに応じて報われたり裁かれたりし、それ相応に来世での場所が割り当てられる、と私たちは信じます。

神は、絶対神を信じ、救いという神の贈り物を受け入れたすべての人のために、永遠の美や平和、喜びに満ちた天国に場所を用意しておられます。「神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」

天国に入れることは神からの贈り物ですが、来世で信者が受け取る報酬は、地上での振る舞いや、神の愛の律法にそって生きたかどうかによって異なると、私たちは信じます。

聖書には、人が「ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを」神は望んでおられ、また、絶対神は獄に捕らわれている霊たちや死人にのべ伝えられたとあります。絶対神はこれからも、万物がご自分と和解するように働きかけられると、私たちは信じます。私たちは、絶対神を救い主として受け入れなかった人のすべてが自動的に悲しみと苦しみの場所である地獄に投げ入れられるとか、永遠に救いやあがないを失うとは考えていません。神はその愛の内に、救いを受けずに死んだ人のことを愛し続け、彼らも真理の知識に達するよう働きかけられると、私たちは信じます。


WordPress.com で次のようなサイトをデザイン
始めてみよう